新海誠

『天気の子』が絶賛公開中である。評判もかなり良いようだ。恥ずかしながら私はまだ観られていない。毎日仕事と課題に追われ、中々時間が見つけられていない。近いうちに何とか都合をつけて見に行きたいとは思っている。

 

『天気の子』は見られていないが、新海作品は何本かこれまでにも拝見してきた。『君の名は』『言の葉の庭』『秒速5センチメートル』『ほしのこえ』『彼女と彼女の猫』。どれもこれも背景がきれいで、本当に美しい絵だった。あんなに大ヒットした『君の名は』に関しては、上映当時に見ること叶わず、先日のテレビ放映で初視聴。上映当時は、流行りものには流されまい!!という世間への反骨心が行く手を阻み、浪人生で暇を持て余しながらも結局映画館にはいかなかった。結果、映画館に行かなかったことを後悔した。評判通りの面白さだった。興行収入二本2位は伊達じゃない。作品を得るごとに丁寧になる人物描写、RADWIMPSの挿入歌。『君の名は』がここまでヒットした要因として、タイムパラドックスにまつわる平衡世界の考察性の奥深さと、それを上塗りする単純なエンターテイメントとしての勢いが絶妙なところで共存していたところが挙げられると思う。けれど、この場で『君の名は』について考察を広げるつもりはない。何よりそのつもりで見ていない。数々の矛盾点・疑問点はあったが、それを上回る作品の勢いに身を任せて2時間過ごしていた。上映から3年もたって、そこをつつくのは野暮だともおもう。素敵な作品だった。秒速5センチメートルを過去に見ていたこともあり、尚更視聴後は爽快だった。

 

新海作品は『喪失』が大きなテーマになっていると、どこかのインタビューで読んだことがある。なるほど、納得だ。どの作品にも大きな喪失が描かれている。その代表作が『秒速5センチメートル』だろう。自分が初めて新海作品を観たのもこの作品だ。自分でいうのもなんだが、私は「恋愛拗らせ野郎」であり、そしてこの作品は自分の胸に大きな傷跡を残していった。この映画は女性には共感されにくいらしいが、それも当たり前なのだろう。男の醜さ、女々しさ、意気地なさが非常に生々しく描写されている。おおよそ女性が共感できる要素は殆どないんだと思う。そして自分はこの作品が大好きで、大嫌いだ。新海作品に引き合わせてくれた事、桜の美しさを教えてくれたこと、ほうじ茶のおいしさを教えてくれたこと。この作品には沢山の感謝が詰まっている。けれど、この作品が与える痛みが生々しすぎる。自分の不甲斐なさをまざまざと画面を通して見せつけられているように感じる。一度、受験勉強に参っている時に気分転換に視聴したのだが、逆にそれから3日ほど心がさらに沈んでしまった。まあ、ここまで一視聴者に思い入れを残している時点で、作品としては正しい形なのだろう。そして自分はドMなので、凹むのが解っていながらまた近いうちに観ることになると思う。僕は結局この映画が好きなのだ。

ただ、自分がこれから年を重ねてからこの作品を再び観た時、今と同じ熱量で気分は沈むのだろうか。多分、おそらく、きっと、今よりも淡白な感想を抱くのだと思う。というか自分が今抱いている、20代男性のの酸っぱい女々しさは、全て取っ払っていてくれないと逆に困る。「え、こんなしみったれた映画に、あの時の自分はどうしてあんなに共感していたんだ」と、将来の自分にはこれくらいの感じでいてほしい。けれど、それもそれで少し寂しい気もする。

 

ああ、僕のこの先、大丈夫なのか。

 

さあ、天気の子を見に行こう。『君の名は』の時と同じ後悔をしないように。食指が動けば、このブログで感想を述べようと思う。