クリスマス

クリスマス。イエスキリストの誕生を祝う日。こと日本においては、家族、そしてカップルが愛を確かめ合う日。そして、独りの人間が、改めて自分の孤独と向き合う日。

クリスマスに、特別な高揚感を抱かなくなったのはいつからだろう。自分の実家では、サンタクロースは小学生までしかきてくれなかったので、中学生になってからはプレゼントももらえなくなった。けれど、まだ小学生の弟がいたため夕ご飯はご馳走だった。まだワクワクしていた気がする。我が家ではご馳走が出てくるのは24日で、またプレゼントをもらう前日ということも相まって(たとえ弟しかプレゼントを貰えなかったとしても)クリスマスよりもクリスマスイブの方がテンションが上がった。高校生になって、当時付き合っていた彼女から黒のマフラーをもらった。高校の制服は学ランだったので、色が被ってしまっていた。結局あまり巻くこともなかった。その子とは、それから三週間後くらいに別れた。

 

クリスマスに彼女が居ないというだけで、自分の魅力のなさを周りの世界から責められている気がした。普段気にならないCMやポスターが、何となく気持ちにささくれる。クリスマスイブの朝起きて、今日が12月24日だと自覚する。仕事しか予定がないことに少し凹む。次の日、クリスマスの朝起きて、また仕事しか予定がないことに少し凹む。そして次の日、12月26日の朝、今年のクリスマスも寂しかったなと自覚して、さらにもう大晦日が近く今年が終わることに気づいて少し凹む。12月24日からの三日間僕の気持ちは心なし沈んでいる。憂鬱な三連日である。

 

昔、小学生の時、クリスマスケーキ用のイチゴのお使いを頼まれて、一人で買いに行った。そしてその夜、ノロウィルスを発症した。スーパーで貰ってきたのだ。消化器をやられた自分はケーキなんて食べられるはずもなく、自分が買ってきたイチゴを食べる家族の会話を聞きながら、隔離された自室でそうめんを食べていた。それ以来、クリスマスケーキのイチゴを見ると、あの時に吐いたゲロの味を思い出す。

クリスマスにショートケーキを食べるのは日本人の文化らしい。他の国では、パイなど、ショートケーキじゃないものを食べる場合も多々あるようだ。キリスト教とは縁遠い日本という国で、クリスマスが一つの文化として成立していることは流石、商魂溢れる国である。

 

子供の時、家族の中でクリスマスという文化に濃密に触れた結果、大人になってから独りのクリスマスに強烈な違和感を覚えるのかもしれない。幼少時に享受した愛の裏返なのかも。ともすれば、クリスマスに寂しさを覚えることは、親から充足を得ていた証なのだ。

自分に子供ができたら、思いっきり幸せなクリスマスパーティーを開いてやろう。豪勢なクリスマスケーキを作って、未だ自分も食べたことのない七面鳥を用意して、ちゃんと木を使った自分の身長より大きいクリスマスツリーも用意して。とびきりのプレゼントも買ってやろう。幼いうちはサンタさんに手紙も書かせよう。その子が一人暮らしして、大人になって、一人でクリスマスを過ごすことになって、強烈な焦燥感、不安、絶望を感じるように、思い切り呪いをかけてやろう。

 

そんなことを、午前2時に、一人で思う。