ソワレ

『おはよ。飲も。』

先輩からおきまりの号令がかかる。

その先輩は中々曲者だった。出会った頃は常識人で、イケメンで、仕事ができて、好青年を絵に描いたような人だった。男が憧れる男だった。けれども長らく付き合っていた彼女と別れた瞬間、豹変した。枷から解き放たれたかのように、檻から出たライオンのように、急に遊びまくるようになった。週6で朝まで飲むようになっていた。『今めっちゃ楽しいんだよね』と言っていたが、付き合わされる後輩からしたらたまったもんじゃない。自分が記憶している限り、彼が卒業前に発することができた日本語は、『おはよ』と『飲もう』の2単語しか無くなっていた。女の有無で人はここまで変わるのかと、かすかな恐怖すら覚える。

 

さて、例の号令がかかると、後輩の僕らにはほとんど拒否権がないので、もう大人しく付いて行くしかない。まあ悪い人ではないので、一緒に飲めばそこそこに楽しいのも事実だ。1軒目は安いチェーン店に行き、2軒目に『ソワレ』という先輩行きつけの飲み屋に行くのが鉄板コース。雰囲気も良く、店主も気さくで、ダーツとカラオケが無料。先輩と店主が馴染みなので、2500円で時間無制限飲み放題。『時間無制限飲み放題』という言葉の頭の悪さよ。たぶんお酒も美味しいのだろうが、正直その店に行くときは大体ベロベロなので酒の味は良く覚えていない。

 

結局ソワレも良い店だった。

初めてソワレに行った時、店への馴染みやすさに調子こいて飲みすぎた。丁度W杯の決勝戦の日で、サッカーを見ながら気持ちがエキサイトしてたのも良くなかった。酔いつぶれてゲロを吐き、さらには初めて会って仲良くなった人にもゲロをかけた。例の先輩の友人だったらしく、めっちゃ謝ってくれた。そのままタクシーに乗せられ、うちに帰された。珍しく、例の先輩が優しかった。どれだけ偏差値が下がろうと、語彙力がなくなろうと、やはり男が憧れる男であった。家に帰ると着ていたシャツがゲロまみれだった。二度とソワレには行かないでおこうと密かに決意した。店主に気まずいし、何よりどうやら常連らしい自分のバゲロ被害者に合わせる顔がない。

その二週間後、僕は再びソワレでアホみたいに酒を飲んでいた。

 

先輩は卒業し、僕らを残して旭川を離れた。SNS、そして先輩の今の彼女から話を聞くぶんに、ぼちぼち元気に生きているようだ。先輩がいなくなってから、ソワレには行っていない。何となく、先輩抜きでその店に行く気になれないのである。

 

ソワレで学んだことは、『自分はうつ伏せになったら、1分後に吐く』という事である。