チャットモンチー

普段はそこまででもないのに、何かを持った瞬間、何かを始めた瞬間、急に格好良くなる人間は確かに存在する。目つきが変わるというか、オーラが変わるというか。

自分の人生の中で、始めてそのような類の人種にあったのは高校生の時。一つ上のK山先輩だった。話すたびに下ネタか奇声しか言わない。(既視感。まるで今の自分のよう。)面白い人でそんな彼も好きだったが、ところがどっこいギターを持たせると最高に格好いい、痺れる男に豹変した。おっぱいの大きさにしか興味ないように思われたK山先輩が、ギターを構えて押尾コータローを演奏する。鳴り響く戦メリが最高にドエロい。濡れる。てか濡れた。けれど演奏後に話しかけに行くと、彼はまた奇声と下ネタしか発さない姿に逆戻りしている。なんなんそのギャップ。ずるいよ。ギター持ってないと話さない体に改造されとるんか。『萌え』通り越して『惚れ』。

 

さて、チャットモンチーだ。自分にとって、ギターを持った瞬間に人が変わるの代名詞。チャットモンチーのギターとボーカルを担当する『橋本絵莉子』(以下、愛着を込めてえっちゃんと呼ぶ)。彼女を初めて見たときの衝撃はK山先輩を優に超えてきた。MCはふわふわしてて、方言丸出しで、時たまわけわからんことを話しだして、周りのメンバーはそれを必死にサポート。典型的な不思議ちゃん。正直苦手なタイプ。なのに、演奏を始めると最高にカッコいい。クリーンなギター、力強い歌声。ハマるのは一瞬だった。

きっかけはえっちゃん。でも、チャットモンチーの魅力はえっちゃんだけではなかった。聞けば聞くほど歌詞の奥深さに気がついた。チャットモンチーの曲作りは、基本的にえっちゃんが作曲、作詞はメンバー3人が曲によってそれぞれ担当するスタイルだ。とにかく、歌詞がいい。3人共、センスがいい。

 

最初に好きになった曲は『染まるよ』だった。これはドラマーの高橋久美子が作詞。失恋した悲しさを元カレのタバコに絡めて歌う名曲。この曲が素敵すぎて、歌詞にちょっと憧れて、自分もちょっとタバコを吸ってみたことがある。たしかに煙は目にしみたけど、そもそも自分は失恋してなくて、言うなればただただタバコを吸っただけなわけで、歌詞にあったようなエモい気持ちにはならなかった。

 

『二人ぼっち』という単語を生み出した『恋の煙』も大好きだ。これはベースの福岡晃子の作詞。“二人ぼっちに慣れようか”なんて言い回し、俺には一生浮かばない。

恋愛の曲を多くリリースしているチャットだが、某ししゃもの様に甘ったるくないのは、詞の奥深さによるものが大きいだろう。

 

チャットモンチーは途中でドラムの高橋久美子が脱退する。チャットの活動をなぞる上で、そこを一つの境目にすることが多い。くみこが抜けて二人体制になった直後にリリースされた『変身』という曲に、えっちゃんはこんな歌詞をつけた。“変身するぞ  どうせ嫌いになんてならないだろう” 世界よ、たぶん、これがロックだよ。

 

そんなチャットモンチーも、2018年に解散してしまった。ハマったタイミングが悪く、一度もライブに行けなかった。Youtubeで見た、徳島で行われたラストライブ。最後の最後にくみこがゲストとして登壇し、披露されたシャングリラ。あれは良かった。本当に、徳島に行く決断ができなかったのが、ひたすらに悔しい。

 

アイドルはいつか卒業するし、バンドはいつか解散するし、人はいつか死ぬ。貢げるうちに貢ぐべきだし、ライブには行けるうちに行っとくべきだ。

 

 

誕生日

Happy birthday to you.

Happy birthday to you... hoooooooooo!!!

 

こんばんは。2019年9月23日現在。当方、21歳。独身。誕生日は10月2日。そろそろ22歳になる。私の両親はどちらも21歳の時に結婚したので、無事に親が夫婦になった年齢を越しそうだ。ありがとうございます。ここまで無事に生きてこられたことに感謝。アーメン。

10代が世界で大活躍する現代社会、22歳が若いと言い切ることは最早厳しくなってきた。ほんとは大学四年生の歳だな。高校の同級生、就職先決めまくってるな。中学の同級生、とっくに働いてるな。自分、強く生きていこうな。

 

ところで、私は誕生日が苦手である。アイヘイトバースデイ。だが誕生日が苦手というと、「自分だけ祝われないから」「みんなに忘れられてるから」「歳を重ねる毎に、自分が老けていくことを実感するから」とか、そーいう理由を連想しがちだが、自分の理由はそれとは全く違うのだ。私は自分のことが大好きなので、新しく歳を重ねた自分を新しい気持ちで愛することができる。老け顔なので、顔が年齢に追いついていくとへの喜びもある。また幸い友人に恵まれ、それなりにお祝いの言葉をもらう。たまにプレゼントももらう。(あ、でもこの前親に忘れられてたわ。てへぺろ。)

では何が理由かと言いますと。まさに誕生日を祝われるということ自体が苦手なのだ。もちろん嬉しいことには嬉しいよ。その上で。

 

この世界には他人の誕生日を覚えることについて、秀でた才能を持つ者が存在している。知人の誕生日を全員分、全て記憶しているのではないか。そう思わせるほどに日々、誰かの生誕をお祝いしている。感嘆する。そして自分は、他人の誕生日を記憶することが、とてつもなく不得手なのである。

自分の誕生日になる。友人、知人に祝われる。ありがとうと返す。けれど、自分はあなたの誕生日を知らない。自分はあなたを祝えない。それが無性に罪悪感で。自分の誕生日を祝われたことから発生する、お相手にも祝いの言葉を返さねばならぬという義務を、私は果たせない。

勿論皆が皆、友人の誕生日を記憶しているわけではないだろう。スマホや手帳に誕生日をメモして、記録として記憶する場合が大多数だと思う。自分もそうすればいいのだろうが、これがまた困ったことに、他人の誕生日をわざわざ媒体に記録する価値を見出せないのである。要するに、他人の誕生日にあまり興味がない。他人の誕生日を祝うのにとことん向いていないのだ。それでも一丁前に罪悪感は募るのだ。自分が生誕した日、自分が自分を1番大切にしてあげねばならぬ日に、そんな他者へのマイナスの気持ちを抱きたくない。

 

だから最近は、

『あなたの誕生日を祝えないし、祝うつもりもないので、私の誕生日も祝わないで下さい。』

というスタンスで生きている。寂しいっちゃ寂しいけれど、積もり積もっていく負の感情に比べれば耐えられる。

 

だからこそ、誕生日を理屈抜きに祝い合うことができる人ができたなら、それはとても幸せなことだと思う。

空から降ってこねえかな。ディグダみたいに土から生えてきてもいいな。

 

 

ps…the birthdayというバンドがオススメだ。一番最初の記事で触れた、thee michelle gun elephantのボーカルとドラムが在籍している。おじさんの渋み、嗄れた声、タバコと酒がよく似合う、良いバンドだと思う。

 

 

 

ソワレ

『おはよ。飲も。』

先輩からおきまりの号令がかかる。

その先輩は中々曲者だった。出会った頃は常識人で、イケメンで、仕事ができて、好青年を絵に描いたような人だった。男が憧れる男だった。けれども長らく付き合っていた彼女と別れた瞬間、豹変した。枷から解き放たれたかのように、檻から出たライオンのように、急に遊びまくるようになった。週6で朝まで飲むようになっていた。『今めっちゃ楽しいんだよね』と言っていたが、付き合わされる後輩からしたらたまったもんじゃない。自分が記憶している限り、彼が卒業前に発することができた日本語は、『おはよ』と『飲もう』の2単語しか無くなっていた。女の有無で人はここまで変わるのかと、かすかな恐怖すら覚える。

 

さて、例の号令がかかると、後輩の僕らにはほとんど拒否権がないので、もう大人しく付いて行くしかない。まあ悪い人ではないので、一緒に飲めばそこそこに楽しいのも事実だ。1軒目は安いチェーン店に行き、2軒目に『ソワレ』という先輩行きつけの飲み屋に行くのが鉄板コース。雰囲気も良く、店主も気さくで、ダーツとカラオケが無料。先輩と店主が馴染みなので、2500円で時間無制限飲み放題。『時間無制限飲み放題』という言葉の頭の悪さよ。たぶんお酒も美味しいのだろうが、正直その店に行くときは大体ベロベロなので酒の味は良く覚えていない。

 

結局ソワレも良い店だった。

初めてソワレに行った時、店への馴染みやすさに調子こいて飲みすぎた。丁度W杯の決勝戦の日で、サッカーを見ながら気持ちがエキサイトしてたのも良くなかった。酔いつぶれてゲロを吐き、さらには初めて会って仲良くなった人にもゲロをかけた。例の先輩の友人だったらしく、めっちゃ謝ってくれた。そのままタクシーに乗せられ、うちに帰された。珍しく、例の先輩が優しかった。どれだけ偏差値が下がろうと、語彙力がなくなろうと、やはり男が憧れる男であった。家に帰ると着ていたシャツがゲロまみれだった。二度とソワレには行かないでおこうと密かに決意した。店主に気まずいし、何よりどうやら常連らしい自分のバゲロ被害者に合わせる顔がない。

その二週間後、僕は再びソワレでアホみたいに酒を飲んでいた。

 

先輩は卒業し、僕らを残して旭川を離れた。SNS、そして先輩の今の彼女から話を聞くぶんに、ぼちぼち元気に生きているようだ。先輩がいなくなってから、ソワレには行っていない。何となく、先輩抜きでその店に行く気になれないのである。

 

ソワレで学んだことは、『自分はうつ伏せになったら、1分後に吐く』という事である。

 

千と千尋の神隠し

世界は素晴らしい。上手くいかないことだらけで、壁はたくさんあるけれど。理不尽だったり、とてつもない速度の現実にずっと悩まされるけれど。それでも、世界はきっと、素晴らしい。

そう思わせてくれる映画だと、自分は思う。

 

千と千尋の神隠し』を数年ぶりに視聴した。先日、金曜ロードショーでやっていたノーカット版を後輩に録画してもらって、一昨日久々に最後まで見た。まずは夜遅くに、しかもお互い何度も見たであろう映画の鑑賞に付き合ってくれた後輩に、大きな感謝を示したい。夜、暇な時間を共有してくれる人を大事にしたい。

面白い映画だと思う。日本興行収入1位。アカデミー賞長編アニメ部門受賞。面白くないはずがない。けれど不思議な映画だとも思う。物語自体はかなり抽象的で、伏線回収も完璧ではない。必要最低限の出来事のみを描写し、製作段階では緻密に作られたはずの設定事項は映画の中ではほとんど語られない。(親が豚になった理由・坊は誰の子供なのか・どうして千尋は銭婆婆の印鑑を持っても平気だったのか・どうして電車が一方通行なのか)疑問点はいくらでも湧いてくる。けれど、日本人の多くが持っているであろう前提知識・教養・迷信を頼りにそれらの設定を全てぶん投げ、宮崎駿が描きたいシーンのみを展開させていく。ここまでくると潔い。各人の想像によって補填されながら、物語が目くるめく展開されていく。描かれないシーンを想像して楽しむことは、全ての物語に共通するところではあるが、本作品はその比重が圧倒的に多い。だが、そのバランスが絶妙で、物語が破綻する一歩手前でとどまっている。純粋なエンターテイメント性と考察性が最高のバランスで両立している。『君の名は』然り、『エヴァンゲリオン』然り、そこのバランスが取れた作品はヒットしやすいのだろう。

 

宮崎駿監督が、そこまでして何を表現したかったのか。本作の特徴として、全体の9割が千尋視点で進められたことがある。冒頭ずっと屁っ放り腰だった千尋が、新しい世界、新しい人に出会い、沢山の壁を乗り越えて、恋を知り、最後は胸を張って歩いていく。物語の主軸はひたすらに「千尋の成長」からブレない。最終的に、ハクの行方やこれからの家族との関係、現世における時間の経過などスッキリしないこともあるが、全て千尋の成長に担保され、それすらも寧ろ心地良いアクセントになっている。何もかも全てをひっくるめて、世界は素晴らしいと感じさせる。陰鬱な雰囲気の中における1人の少女の成長(+全てを失ったカオナシの再起)を通して、私たちに不思議な肯定感を授けてくれる。庇護の対象であるはずの少女が、1人でしっかりと立っている。これこそが監督が描きたかった姿なのではないだろうか。

 

結局ハクがどうなったかわからない。千尋が大人になって、この出来事を覚えているのかもわからない。きっとこのお話はハッピーエンドではないが、けれどもバットエンドでもない。理不尽で、だからこそ美しい。そして、そんな世界は、きっと素晴らしい。久々な視聴後の感想は、これに尽きる。

 

 

 

スイカ

イカが美味しい季節である。完璧に熟した、甘くてみずみずしいスイカは格別にうまい。種を出すのが少し億劫だけど、慣れてしまえば楽しいもんだ。実家にいた時は毎年飽きるほどに食っていたのだが、けれども一人暮らしを始めてから全く食べなくなってしまった。スイカは難しい。一玉丸々買うには高いし食い切れないし、4分の1カットを買うのも、それではスイカの魅力が半減してしまう気がする。一玉まるまるをぶつ切りにすることにスイカの趣があると思う。まったく一人暮らしに向いてない果物ランキング1位である。

 

先日、実家へ帰省した。帰省と呼ぶには頻繁に帰りすぎている気もするし、あまりにも短い滞在時間ではあったけれど。「帰るならもう少し早く連絡くれれば良いのに」「もっとゆっくりしていけば良いのに」なんて母に言われながら、自分は猫を撫でていた。

実家のすごいところは、やっぱり夏になると当たり前にスイカが常備してあることだと思う。この前も弟と将棋を指していると、親から大きく4分の1にカットされたスイカが出された。これまた甘くて滅茶苦茶美味かった。猫を撫で、スイカを食いながら将棋を指す。我ながら、夏の風情の大盤振る舞い、右ストレートである。

 

さながらスイカを買う買わないってのは、その人の環境を如実に表す指標になっているのかもしれない。1人じゃ買わない、2人以上で住んでいてもスイカって結構高いから、あんまり買わない。そこそこ経済的に余裕があって、かつ誰かと一緒に食べられる、ないし、食べさせたい相手がいる場合にのみ、スイカをまるまる一つ買うことができるのだ。「とんかつを何時でも食べられるくらいの豊かさを持ちなさい」という至言があるが、「夏になったらスイカを気兼ねなくスイカを食べられるようになりなさい」っていう言葉を、ここに残しておきたい。

あー、スイカ食べてえ。

 

 

 

P.S ところで、この前実家から帰る時、親が家にあるものをこれでもかと持たせてきて、なんなら作り置き用のおかずを態々作って持たせてくれた。年を得る毎に、典型的な、久々に帰省した息子に対する親の対応を地でやってくるようになってしまった。勿論、貧乏大学生からしてみればありがたい話なのだが、なぜだか少し寂しさを感じる。

 

新海誠

『天気の子』が絶賛公開中である。評判もかなり良いようだ。恥ずかしながら私はまだ観られていない。毎日仕事と課題に追われ、中々時間が見つけられていない。近いうちに何とか都合をつけて見に行きたいとは思っている。

 

『天気の子』は見られていないが、新海作品は何本かこれまでにも拝見してきた。『君の名は』『言の葉の庭』『秒速5センチメートル』『ほしのこえ』『彼女と彼女の猫』。どれもこれも背景がきれいで、本当に美しい絵だった。あんなに大ヒットした『君の名は』に関しては、上映当時に見ること叶わず、先日のテレビ放映で初視聴。上映当時は、流行りものには流されまい!!という世間への反骨心が行く手を阻み、浪人生で暇を持て余しながらも結局映画館にはいかなかった。結果、映画館に行かなかったことを後悔した。評判通りの面白さだった。興行収入二本2位は伊達じゃない。作品を得るごとに丁寧になる人物描写、RADWIMPSの挿入歌。『君の名は』がここまでヒットした要因として、タイムパラドックスにまつわる平衡世界の考察性の奥深さと、それを上塗りする単純なエンターテイメントとしての勢いが絶妙なところで共存していたところが挙げられると思う。けれど、この場で『君の名は』について考察を広げるつもりはない。何よりそのつもりで見ていない。数々の矛盾点・疑問点はあったが、それを上回る作品の勢いに身を任せて2時間過ごしていた。上映から3年もたって、そこをつつくのは野暮だともおもう。素敵な作品だった。秒速5センチメートルを過去に見ていたこともあり、尚更視聴後は爽快だった。

 

新海作品は『喪失』が大きなテーマになっていると、どこかのインタビューで読んだことがある。なるほど、納得だ。どの作品にも大きな喪失が描かれている。その代表作が『秒速5センチメートル』だろう。自分が初めて新海作品を観たのもこの作品だ。自分でいうのもなんだが、私は「恋愛拗らせ野郎」であり、そしてこの作品は自分の胸に大きな傷跡を残していった。この映画は女性には共感されにくいらしいが、それも当たり前なのだろう。男の醜さ、女々しさ、意気地なさが非常に生々しく描写されている。おおよそ女性が共感できる要素は殆どないんだと思う。そして自分はこの作品が大好きで、大嫌いだ。新海作品に引き合わせてくれた事、桜の美しさを教えてくれたこと、ほうじ茶のおいしさを教えてくれたこと。この作品には沢山の感謝が詰まっている。けれど、この作品が与える痛みが生々しすぎる。自分の不甲斐なさをまざまざと画面を通して見せつけられているように感じる。一度、受験勉強に参っている時に気分転換に視聴したのだが、逆にそれから3日ほど心がさらに沈んでしまった。まあ、ここまで一視聴者に思い入れを残している時点で、作品としては正しい形なのだろう。そして自分はドMなので、凹むのが解っていながらまた近いうちに観ることになると思う。僕は結局この映画が好きなのだ。

ただ、自分がこれから年を重ねてからこの作品を再び観た時、今と同じ熱量で気分は沈むのだろうか。多分、おそらく、きっと、今よりも淡白な感想を抱くのだと思う。というか自分が今抱いている、20代男性のの酸っぱい女々しさは、全て取っ払っていてくれないと逆に困る。「え、こんなしみったれた映画に、あの時の自分はどうしてあんなに共感していたんだ」と、将来の自分にはこれくらいの感じでいてほしい。けれど、それもそれで少し寂しい気もする。

 

ああ、僕のこの先、大丈夫なのか。

 

さあ、天気の子を見に行こう。『君の名は』の時と同じ後悔をしないように。食指が動けば、このブログで感想を述べようと思う。

 

 

 

あなたはどんなお酒が好きですか。

私は、ビールと日本酒が好きだ。カクテルならジンが好き。ジンバックが美味しい店に外れはないと思っている。ウイスキーはどうもだめだ、口に合わないどころか身体に合わない。匂いを嗅ぐだけで拒絶してしまう。人生で初めてつぶれた原因もウイスキー強めのコークハイだった。ただ、ウイスキーが似合う男になりたいとも思う。煙草をふかして、ウイスキーをロックで飲んで、香を楽しみ。煙草も吸わず、ウイスキーも飲まない自分にとっては夢のような話である。

ビールは酒を飲み始めてからずっと好き。受験生の時はノンアルコールビールを飲みながら勉強していた。だから初めてアルコール入りのビールを飲んだ時、そのおいしさに愕然としたことを覚えている。日本酒は1年ほど前から飲み始めた。旅行に行くたびにその場所の地酒を飲むのが最近の楽しみになっている。秋田の地酒は良かった。今まで飲んだ日本酒の中で一番うまかった。最近は日本酒をカルピスで割るのにはまっている。一見ゲテモノの組み合わせのようだが、これがなかなかいける。かなり飲みやすい。日本酒が苦手な人でもぐいぐい飲めると思う。おすすめだ。

 

『大人になればお酒もぐいぐい飲めちゃうけれど

もう空は飛べなくなっちゃうの?

サヨナラ』

酒に関する歌詞の中で、自分はこれが一番好きだ。チャットモンチーの『サラバ青春』という曲の中の一節。卒業がモチーフで、酒と空を飛ぶことを結び付ける繊細さが大好きだ。曲を通して素晴らしいので、ぜひ聞いてみてほしい。

 

『大人は誰だって辛いのさ。だから酒飲んでもいいってことになってんの。』

酒にまつわる中で自分が好きなセリフをもう一つ。『魔法少女まどか☆マギカ』というアニメで、主人公のお母さんが発した一言だ。飲酒の理由としてこんな解釈もあるのかと、16歳の自分が感動したことを覚えている。

 

酒は、ずるい。酒を飲めるようになれば、女を酔いの勢いで口説きまくって、ワンナイトセックスを滅茶苦茶して、嫌なことも全部忘れられて、無敵になれると思っていた。酒が有ろうとなかろうと、そんな意気地のない自分は、結局酒で弄ぶつもりが殆ど酒に弄ばれている。無為な飲み会で酒を注ぎ、一人で晩酌してはおセンチになり、潰れた彼氏持ちの女にキスされて。ああ、上手くいかねえなあって思いながら、今日も酒を飲む。

酒に酔った人が、本音を言うのが好きだ。それが甘ったるい惚気話だろうが、くそったれな悪口だろうが、気味の悪い夢物語だろうが、歯の浮くような懺悔だろうが、そんな時にしか聞けない話は大体楽しい。酒は容易に人を本質的な意味で丸裸にするのだと思う。その魔力は絶大で、だからこそ人は、他の魔法を使えなくなるのかもしれない。酒はずるい。初めに言っておいてほしかった。

 

うまい酒を飲みたい。色んな人と色んな所で飲んでてたまーにある、本当に面白い、うまい酒。流れ星を見ながら、ハンモックで飲んだ酒は、うまかった。3年ぶりに会った友人と飲んだ安酒は、本当にうまかった。

 

あなたは、どんなお酒が好きですか。