誕生日

Happy birthday to you.

Happy birthday to you... hoooooooooo!!!

 

こんばんは。2019年9月23日現在。当方、21歳。独身。誕生日は10月2日。そろそろ22歳になる。私の両親はどちらも21歳の時に結婚したので、無事に親が夫婦になった年齢を越しそうだ。ありがとうございます。ここまで無事に生きてこられたことに感謝。アーメン。

10代が世界で大活躍する現代社会、22歳が若いと言い切ることは最早厳しくなってきた。ほんとは大学四年生の歳だな。高校の同級生、就職先決めまくってるな。中学の同級生、とっくに働いてるな。自分、強く生きていこうな。

 

ところで、私は誕生日が苦手である。アイヘイトバースデイ。だが誕生日が苦手というと、「自分だけ祝われないから」「みんなに忘れられてるから」「歳を重ねる毎に、自分が老けていくことを実感するから」とか、そーいう理由を連想しがちだが、自分の理由はそれとは全く違うのだ。私は自分のことが大好きなので、新しく歳を重ねた自分を新しい気持ちで愛することができる。老け顔なので、顔が年齢に追いついていくとへの喜びもある。また幸い友人に恵まれ、それなりにお祝いの言葉をもらう。たまにプレゼントももらう。(あ、でもこの前親に忘れられてたわ。てへぺろ。)

では何が理由かと言いますと。まさに誕生日を祝われるということ自体が苦手なのだ。もちろん嬉しいことには嬉しいよ。その上で。

 

この世界には他人の誕生日を覚えることについて、秀でた才能を持つ者が存在している。知人の誕生日を全員分、全て記憶しているのではないか。そう思わせるほどに日々、誰かの生誕をお祝いしている。感嘆する。そして自分は、他人の誕生日を記憶することが、とてつもなく不得手なのである。

自分の誕生日になる。友人、知人に祝われる。ありがとうと返す。けれど、自分はあなたの誕生日を知らない。自分はあなたを祝えない。それが無性に罪悪感で。自分の誕生日を祝われたことから発生する、お相手にも祝いの言葉を返さねばならぬという義務を、私は果たせない。

勿論皆が皆、友人の誕生日を記憶しているわけではないだろう。スマホや手帳に誕生日をメモして、記録として記憶する場合が大多数だと思う。自分もそうすればいいのだろうが、これがまた困ったことに、他人の誕生日をわざわざ媒体に記録する価値を見出せないのである。要するに、他人の誕生日にあまり興味がない。他人の誕生日を祝うのにとことん向いていないのだ。それでも一丁前に罪悪感は募るのだ。自分が生誕した日、自分が自分を1番大切にしてあげねばならぬ日に、そんな他者へのマイナスの気持ちを抱きたくない。

 

だから最近は、

『あなたの誕生日を祝えないし、祝うつもりもないので、私の誕生日も祝わないで下さい。』

というスタンスで生きている。寂しいっちゃ寂しいけれど、積もり積もっていく負の感情に比べれば耐えられる。

 

だからこそ、誕生日を理屈抜きに祝い合うことができる人ができたなら、それはとても幸せなことだと思う。

空から降ってこねえかな。ディグダみたいに土から生えてきてもいいな。

 

 

ps…the birthdayというバンドがオススメだ。一番最初の記事で触れた、thee michelle gun elephantのボーカルとドラムが在籍している。おじさんの渋み、嗄れた声、タバコと酒がよく似合う、良いバンドだと思う。