はじめに

20世紀少年』という漫画の中で、多くのロックスターが27歳で自殺していることを知った。14の自分にはそこで言及されているロックスターのことは誰一人解らなかったが、生意気にも、けれど強く憧れたことを覚えている。有名なうちに、人生のピークで自殺する。これがロックか…って感動していた。生意気に。

 

thee michelle gun elephant』というロックバンドにはまった。自分が知った時にはすでに解散しており、またギタリストだったアベフトシが2009年に亡くなっていることも知った。当時の邦楽シーンのトップを走るバンドの中で彼のギターは格別で、「ミッシェルの曲は、曲が始まってから終わるまで俺のギターソロ」と自分で語るほどだった。(リアルタイムでこのバンドを追えなかったのが本当に悔やまれる)彼の訃報に対し、沢山のファンが涙して、沢山のミュージシャンが追悼文を出し、元バンドメンバーは彼に向けて演奏をした。ギタリストとして圧倒的伝説を残し、その死を沢山の人に惜しまれる。これにもまた、憧れた。

 

大学生になり、入った大学が医療系だったこともあって、介護や人の死というのが今までよりも身近になった。医療が高度化して沢山の人が長生きするようになったことは、教科書の中で既に知っていた。けれど大学でその裏側に直面することになる。人を救うのは尊いし、少しでも長く生きてもらうお手伝いをすることは素晴らしい。けれどまた、自分はここまでされてまでも生きなければならないのかと思うと、すこし辟易した。

 

そんなこんなで若いうちに、長生きしたとしても50歳までには死にたいと漫然と思っていた。人に迷惑をかけず、さらに一番回りから惜しまれるタイミングで死にたい。生意気である。いっちょ前に。

ある日、こんな赤恥ずかしい思いを酒を飲みながら友人達に打ち明けた。共感してくれる子もいたのだが、その中の一人が神妙な顔でそれを聞いた後に、

「それって勿体なくない?」

「私はね、物知りなお婆さんになって、沢山のことを孫に教えて、家族に囲まれて死にたいの。」

屈託のない笑顔でそう言っていた。

元来自分は誰かに影響されやすいのだ。彼女の考え方はとても素敵で、その姿には後光がさしていた。自分の中にない新しい価値観だった。自分の夢が「さっさときれいに死ぬこと」から「物知りなお爺さんになること」に変わった。

 

ところで、「物知りなお爺さん」とは具体的にどんな人で、どうやったらなれるのだろう。いろいろ思案した結果、知識・教養を持っていることは当然だとして、そこに経験が付随している人だという結論に至った。

 

色々なことを初めてみようと思う。ピアノの練習もしてみた。練習はさぼりがちだし、全然弾けないが楽譜多少は読めるようになった。カメラを始めた。おかげで色々なところに行くようになった。風景をしっかり見るようになった。演劇のオーディションに申し込んでみた。

 

そしてここで、拙いながらもブログをはじめてみようと思う。文章で物事を表現することが不得手なので、勉強してみようと思う。後押ししてくれた友人には感謝している。とはいっても飽き性だし、何を書くかも定まっていない。そこでまずは「あ」~「ん」までの45音からはじまる言葉をテーマに文章を書くことに決めた。一先ず45個の記事を書ききることを目標にしよう。それが達成出来たら、SNSで広めてみよう。

 

将来、そもそも結婚できるか孫が出来るかも知らないけど、また誰かに影響されて価値観が変わるかもしれないけれど、

めざせ、『物知りなお爺さん』