高校生

母親が口癖のように、『高校生の時が1番楽しかった』と言っていた。昔のことを語る母の表情は、どこか誇らしいような、どこか寂しげな。子供ながら、『今は楽しくないの?』と思ったが、口には出さなかった。出してはいけない気がした。そして、母親がそこまで言うもんだから、自分も早く高校生になってみたかった。母親にそこまで言わしめるなんてどんなとこなのだろう。更には、多くの漫画、映画、アニメの主人公が高校生ときた。高校生になったら、屋上でご飯を食べれる、彼女ができる、学校帰りにカラオケに行ける、とにかく青春できると漠然と思っていた。小学校も中学校も、楽しくなかったわけではないけど、さっさと卒業したかった。

 

地元から少し離れた札幌の高校に進学した。通学は往復3時間でそれなりに大変だったが、それでも通って良かったと胸を張って言える。屋上でご飯は食べられなかったけど、高校生としてやりたかったことは粗方経験できた。制服で花火も見にいけたし、学校祭で涙を流すこともできたし、必死に部活をすることもできた。学校帰りにコンビニに寄って肉まんを食べたし、女子のセーラー服は可愛かったし、電車を降りず高校をサボり海に行ったりもした。青春の定義はまだよくわからないけれど、思い出を肴に一晩酒を飲める。

 

高校の卒業式での担任の話の中で、ずっと覚えている言葉がある。

『高校を人生のピークにしないでください。今を人生のピークにしてください。』

大学生になりました。目上の人との関わり方も覚えました。車を運転するようになりました。一人暮らしもそつなくこなせるようになりました。酒も少しは嗜めるようになりました。できることは高校生の時より格段に増えました。でも先生、すみません。自分の人生が高校の時を超えられません。

 

永遠に高校生でいたかったわけではない。大学に行きたくて必死に受験勉強もしたし、高校生当時、日々の日常に楽しさばかりを覚えていたわけでもない。高校に戻りたいかと言われれば、答えはノーだ。今の日々もそれなりに楽しいし充実している。ただ、今の生活の中で高校生の時のように心が震えることがない。何も考えずに、ひたすらバカになって、バカみたいに何かに熱中して、一喜一憂して

高校に、何か忘れ物をした気がする。気がつけば、高校を卒業してもう四年経つ。自分が高校生だった期間より、自分が卒業してからの期間の方が長くなった。母親の言っていた意味がなんとなく理解できるようになった。いい歳して高校のことを引きずってんじゃねえよと言いたい気もするが、自分も似たような状況なのでとんだブーメランだ。

 

多分、幸せな高校生活だったんだと思う。少し未練だったり後悔があった方が想い出は綺麗だと思うし。こうして、卒業してから感傷に浸れるということは、とても恵まれていたんだろう。

でも、これから30、40になっても、『高校の時が1番楽しかった』なんて言ってちゃダサすぎる。だからこそ担任の言葉が刺さる。本当に、良い言葉を、送ってくれやがった。

 

けいおん!!

この記事は書かなければならない気がした。例え数人にしか読まれなかったとしても、自分の気持ちに整理をつけるために。

 

まずは、京都アニメーションへの放火について、被害にあった方には心よりのお見舞いとお悔やみを申し上げます。33人もの方が亡くなった。内一人は性別不明なほどに遺体の損傷が激しいかったようだ。17人は重症で入院。本当に、本当に、心が痛い。こんな大学にいるから、焼け死ぬことの辛さは多少は理解しているつもりだ。これ以上被害者が増えないように、自分には祈ることしかできない。

 

京都アニメーション(以下京アニ)の作品の中で、自分が1番思い入れが強いのが、『けいおん!!』と言う作品だ。女子高生5人が「放課後ティータイム」というバンドを結成し、学校祭、町内会、しいてはロンドンでライブをするお話。かきふらい氏が原作を手がけ、アニメは2期まで、さらに映画化もされた。

自分が様々なアニメにハマるきっかけになった作品。初めてアニメで泣いた作品。自分に理想の学校生活を教えてくれた作品。自分がギターを始めるきっかけになった作品。

ゴールデンウィークけいおんのモデルになった「旧豊郷小学校」にも行ってきた。地元住民、しいてはファンの想いが詰まっていたいろんな人に愛されている作品なんだと実感した。

 

けいおんの他にも、京アニは沢山の素敵な作品を世に送り出してきた。『涼宮ハルヒの憂鬱』『CLANNAD』『響け!ユーフォニアム』…本当に、素敵な作品たちなんだ。自分にとっての『けいおん!』のように、たくさんの人にとっての思い出の作品があるんだ。京アニは、人の心に住み続ける、愛される作品を沢山作ってくれたんだ。

 

今回の放火事件。犯人は主に二つの傷跡をつけたと思う。一つは、純粋に人的・物的被害。社員160人中、死者33名、重傷者17名。放火事件、いや殺人事件としても甚大な被害だし、会社としてもその被害は甚大だろう。被害者、かつその近親者の気持ちは、自分には図るべくもない。さぞ無念だっただろう。アニメを作る、仕事を全うした結末が焼死だなんで、遣る瀬無さが募る。

数々の資料も焼け焦げたと、ニュースで拝見した。会社として再起も絶望的かもしれない。日本が誇るアニメーション会社が、こんな形で危機に瀕するとは誰も想像していなかった。

 

そして二つ目の被害は、作品への傷だ。今後多くの人間が京アニの作品を観る際、今までのように純粋な気持ちで観ることはほぼ不可能だろう。きっと、気持ちのどこかで今回の被害者がちらつくに違いない。京アニが今後持ち直し、素晴らしい作品を提供したとしても、僕たち視聴者の目にはフィルターがかかる。それは過去作品についても同様だろう。自分は今、けいおんを観ながらこの記事を書いているが、画面を見る目は確実に今までとは違っている。純粋なはずの登場人物たちに、作品とは無関係な、憐れみ、同情、可哀想、そんな目を向けてしまっている。これは作品への、芸術への冒涜だ。

会社とか声優の不祥事なら、まだ割り切れる。そこに作品に罪はない。人を侮蔑したとしても、作品は侮蔑しない。けれど、今回の件を作品と切り離すには、あまりに衝撃が大きすぎる。作品にどうしても、同情的な目を向けてしまう。けれどそんな目を向けていては、その作品を手がけたであろう今回の被害者も浮かばれない。わかってる。僕達に同情されたくて、アニメを作ったわけではないんだ。僕達を楽しませたくて、アニメを作ったんだ。

わかっていても、頭がそれを納得しない。加害者は、数々の作品の根本を、ぐちゃぐちゃにした。

 

 

京都アニメーションの関係者皆さんは、まずしっかり休んでほしい。生き延びたことに後ろめたさを感じず、休んでほしい。あなたたちは何も悪くない。

事件の背景はまだわからない。けれど、どんな言い訳があるにせよ、加害者は許せないことをした。

自分に何が出来るかはわからない。けれど、自分に思い出をくれた恩返しを、何かの形でしたいと思う。まずは出来る限り冷静に、情報を待つ。

そして祈ろう。被害が、これ以上大きくならないように。

 

合掌

 

 

クリスマス

クリスマス。イエスキリストの誕生を祝う日。こと日本においては、家族、そしてカップルが愛を確かめ合う日。そして、独りの人間が、改めて自分の孤独と向き合う日。

クリスマスに、特別な高揚感を抱かなくなったのはいつからだろう。自分の実家では、サンタクロースは小学生までしかきてくれなかったので、中学生になってからはプレゼントももらえなくなった。けれど、まだ小学生の弟がいたため夕ご飯はご馳走だった。まだワクワクしていた気がする。我が家ではご馳走が出てくるのは24日で、またプレゼントをもらう前日ということも相まって(たとえ弟しかプレゼントを貰えなかったとしても)クリスマスよりもクリスマスイブの方がテンションが上がった。高校生になって、当時付き合っていた彼女から黒のマフラーをもらった。高校の制服は学ランだったので、色が被ってしまっていた。結局あまり巻くこともなかった。その子とは、それから三週間後くらいに別れた。

 

クリスマスに彼女が居ないというだけで、自分の魅力のなさを周りの世界から責められている気がした。普段気にならないCMやポスターが、何となく気持ちにささくれる。クリスマスイブの朝起きて、今日が12月24日だと自覚する。仕事しか予定がないことに少し凹む。次の日、クリスマスの朝起きて、また仕事しか予定がないことに少し凹む。そして次の日、12月26日の朝、今年のクリスマスも寂しかったなと自覚して、さらにもう大晦日が近く今年が終わることに気づいて少し凹む。12月24日からの三日間僕の気持ちは心なし沈んでいる。憂鬱な三連日である。

 

昔、小学生の時、クリスマスケーキ用のイチゴのお使いを頼まれて、一人で買いに行った。そしてその夜、ノロウィルスを発症した。スーパーで貰ってきたのだ。消化器をやられた自分はケーキなんて食べられるはずもなく、自分が買ってきたイチゴを食べる家族の会話を聞きながら、隔離された自室でそうめんを食べていた。それ以来、クリスマスケーキのイチゴを見ると、あの時に吐いたゲロの味を思い出す。

クリスマスにショートケーキを食べるのは日本人の文化らしい。他の国では、パイなど、ショートケーキじゃないものを食べる場合も多々あるようだ。キリスト教とは縁遠い日本という国で、クリスマスが一つの文化として成立していることは流石、商魂溢れる国である。

 

子供の時、家族の中でクリスマスという文化に濃密に触れた結果、大人になってから独りのクリスマスに強烈な違和感を覚えるのかもしれない。幼少時に享受した愛の裏返なのかも。ともすれば、クリスマスに寂しさを覚えることは、親から充足を得ていた証なのだ。

自分に子供ができたら、思いっきり幸せなクリスマスパーティーを開いてやろう。豪勢なクリスマスケーキを作って、未だ自分も食べたことのない七面鳥を用意して、ちゃんと木を使った自分の身長より大きいクリスマスツリーも用意して。とびきりのプレゼントも買ってやろう。幼いうちはサンタさんに手紙も書かせよう。その子が一人暮らしして、大人になって、一人でクリスマスを過ごすことになって、強烈な焦燥感、不安、絶望を感じるように、思い切り呪いをかけてやろう。

 

そんなことを、午前2時に、一人で思う。

きつねのおきゃくさま

『きつねのおきゃくさま』という絵本を知っているだろうか?作:あまんきみこ、絵:二俣英五郎によって手掛けられた本作。自分が一番好きな絵本だ。大好きだ。小学生の時の国語の教科書に載っていた。当時から大好きで、20を超えても定期的に読み直し、その度にさらに好きになる。この作品への想いは既に「恋」の域に到達したといえる。今回は、その魅力を発信したいのだが、その前にまずは簡単にあらすじを述べようと思う。

 

むかしむかし、お腹を空かせたきつねは、ある日痩せたひよこにであう。きつねはすぐに食べようかとも思ったが、太らせてからでも遅くないと、一先ずひよこを育てることにした。ひよこはとても感謝して、きつねに「優しい」と声をかける。それに続くようにあひるとうさぎもやってきた。みんなきつねに感謝する。最初は食べるためだったのに、いつしか丁寧に丁寧に3匹を育てるようになる。

ある日山からオオカミが、ひよこ・あひる・うさぎを狙ってやってくる。きつねは勇敢に戦って彼らをしっかり守り切り、そして恥ずかしそうに笑って死んだ。

 

っていうお話。あらすじだけでもうヤバくない…!? 本文は「きつねのおきゃくさま」と検索すれば読むことが出来る。五・七調でリズミカルに綴られる文章。その裏にあるのは、情だったり愛だったり現実の残酷さだったり。色んな感情が丁寧にかつ大胆に語られている。これが小学二年生の国語の教科書に載ってるってすごいな日本!!

なによりきつねが格好いい…そして二俣英五郎氏の絵が絶妙である。とても残酷な話ではあるが、この少し古臭い、やさしいキャッチ―なイラストたちがバランスをとっている。さて、少し深堀してみよう。

 

まず、きつねが初めに出会ったのがひよこっていうのが絶妙。まだまだ子供で親の庇護下であるはずのひよこが、がりがりで一人で家を求めて森を彷徨っていたっていうのがそもそも異質で。きつねはひよこから人生で初めて「優しい」と声をかけられたわけだが、ひよこからしてもきつねが人生で初めて「無償の優しさを提供してくれた存在」であったわけだ。ひよこが子供だったからこそ、きつねの誘いの裏に気づかず、素直にきつねを信用したといえる。きつねに初めに会っていたのがあひるやウサギであれば、きっと家にはついていかずこの場できつねに食われていただろう。

けれども、もしかしたらひよこもきつねの狙いに気が付いていたのかもしれない。なんせ一人で森を彷徨う痩せたひよこだ。子供だけれども、いや子供だからこそ、既に周りの大人から酷い目にあったのかもしれないし、大人の残酷さを知っていたかもしれない。それでもなお、一点の曇りなく、きつねをお兄ちゃんと呼んだのだとしたら。そこにあるのは「素直さ」ではなくきつねへの「諦め」「縋り」だったのかもしれない。(意味合いとしては売春に近い)ともすればひよこにとって、どんな思惑があったにせよ最終的に誠意で答えきったきつねは比喩ではなく本当に神様だっただろう。3匹の中できつねに一番救われたのはひよこだったのかもしれない。

 

2点目。きつねは腹が減っていたから3匹を太らせてから食べようとしたんだ。なのに絵を見てみると、とても豪華な、手作りの食事を3匹にふるまっている。ここで注目したいのが、自分の分を切り詰めて3匹に食わせるといったような展開ではなく、しっかりと自分の分も用意してある点である。ここから何が読み取れるか。3匹に心配されないために、3匹のことをしっかり食わせるために、何とかして食料をかき集め、それを3匹の前でおくびにも出さず、おいしいご飯と住処を提供したきつねの図である。周りに頭を下げたのかな、自分で働いてかき集めたのかな。ほんとうに目頭が熱くなる。

 

3点目。おおかみが襲撃する時「こりゃ、うまそうなにおいだねえ。ふんふん。ひよこに、あひるに、うさぎだな」といった後、きつねは「いや、まだいるぞ。きつねがいるぞ。」というなり飛び出した。実際は危険は直接にはきつねに降りかかっていなかったのだ。それどころか、きつねはおおかみに気づかないような、離れた所にいたのかもしれない。(自分はこの時きつねは食料探しをしていたと踏んでいる)にも関わらず3匹の危機に最も早く気が付き、途端に戦いに行ったのだ。勝てるはずがないのに。案の定きつねは結局死んでしまう。恥ずかしそうに笑って死んでしまうのだ。その笑みに含まれるのは自嘲か、それとも照れか。

 

さて、最後結局きつねは幸せだったのだろうか。ひよこと会い、あひると会い、うさぎと会い、知らなかった感情を教えてもらい、その見返りとして食料と住処を提供し。いつしか3匹を食べることは頭からなくなり。3匹はきつねを神様と形容したが、きつねにとっても3匹は神様だったのだ。お互いがお互いを神様と崇めあう。これは最早恋ではない。愛、もしくはそれ以上の、もはや宗教とも呼べるような関係性だ。きつねはそこに殉じ、3匹もきつねのお墓を作り涙を流し、これが幸せと言わないのであれば、僕はもう幸せが何か知らなくて良い。

 

死という現象に、死の更に先を教えてくれる、いい絵本だと思う。ここまで熱弁してきたが、絵本自体は5分で読めるような密度だ。絵も含めて、皆さんにもぜひ楽しんでもらいたい。

 

とっぴんぱらりいのぷう

 

 

カメラ

カメラなんて、絶対にやるまいと思っていた。お金はかかりそうだし、カメラが趣味って何かぶってる気もする。カメラ買わなくても記録はiPhoneで残せるし、何よりカメラより性能の良い眼球というレンズも持っている。一々パシャパシャと写真を撮るのは品がなく、俗っぽいと思っていた。それなのにところがどっこい、カメラの購入どころか、昨日新たなレンズを買ってしまった。

 

以前の記事でも言及したが、自分は旅行が好きで道内・道外様々なところに行った。知らない道を歩くだけで楽しいし、次の目的地はどこにしよう、新たな目的地にはどのような雰囲気なんだろう、考えるだけでも大変に楽しい。教科書と経験が直接リンクするのにはたまらない興奮を覚えた。けれど、旅から帰ってきた後に気が付いた。思い出が記憶が段々薄れていっている。あの時見た景観・匂い・空気etc…折角大金はたいて向かったのに、人間の記憶は悲しいもので、何から何まで薄れゆく。それだけなんとも悲しかった。

 

大学の実習で夕張へ行った。とても寂れたところで、高齢化率1位という異名は伊達じゃない。地域医療の問題を実地調査するっていう内容だった。実習目的からすればこんなにふさわしい目的地はなかったのだが、どうせならもう少し栄えていて遊び場所に困らない、函館とか帯広とか、そんな街に行きたかった。どっちかというとしぶしぶ、僕は夕張へ向かった。(行ったら行ったで結局楽しかったけれど)さて、一緒に行ったグループの中にカメラが趣味の友人がいた。そして後日、その友人が撮った写真を拝見したわけだが、これがとても綺麗だった。写真を見るだけで、うだるような暑さとか、くだらない会話とか、ビールの冷たさとか、そんな些細な記憶がよみがえってくる。写真を撮ることの意味はこういう事かと、妙に納得してしまった。僕は他人に影響されやすい人間なのだ。

 

そんなこんなで、どうせなら旅先の写真は撮ることに決めた。人生初めてのカメラはメルカリで買った25,000円のolympuspen e-p3。10年前のミラーレス一眼。おんぼろもいいところだ。家に宅配されたときには既にレンズに不備があり、一定以上ズームが出来なくなっていた。でも面倒で、クレームをつけたり返品処理はしなかった。写真を撮ることは主目的ではなく、ついでに記録としてそれっぽい写真を取れれば満足だった。そんで案の定、不良品だったレンズは使ってる内に2か月で壊れた。その頃にはもうカメラの沼にはまっていた。絵や音楽と違い、芸術としての最初のハードルが極端に低く、それでいて奥が深かったことが性に合っていたんだと思う。フレームの中で一番きれいな瞬間を切り取る作業は、演劇に少し似ていた。壊れてしまったことにかこつけて、もっと良いレンズを求めた。初めて手にしたレンズがズーム機能に不備があるものだったから、それならいっそズームできないレンズにしようと考えて、結局27,000円の単焦点レンズを買った。カメラ本体の値段を超えていた。ケチらずに初めから良いものを買っておけばよかったと激しく後悔した。

 

四月は君の嘘』という漫画の中で主人公が、「恋をすると世界がカラフルになる」って言っていた。なるほど素敵なセリフだ。でも世界をカラフルにするのは恋だけじゃない。カメラだってきっと自分の世界をカラフルにする。ソースは俺。カメラを手にして、写真を撮り始めてから、周りをよく見ながら登校するようになった。運転するときに、よく寄り道するようになった。太陽と雲と木があるだけで、世界は十分に美しい。そんな単純なことに21歳になって気づかされた。シャッターチャンスを逃したくないから、カメラを毎日持ち歩くようになった。旅行のついでのカメラだったはずが、いつの間にか日常に侵食し、されはカメラのついでに旅行に行くようになった。

 

そうして僕は新しい趣味を手に入れた。『趣味:カメラ・演劇』という立派なおしゃれ人間の出来上がり。趣味だけで彼女が出来そうなくらい胸やけがするけれど、現実はそうもいかないのが世知辛い。プロフィールには『今一番欲しいもの:彼女』も追加しておこう。

 

 

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おっぱい

おっぱい。

 

正直に言う。このブログを始めて、一番書きたかったテーマが『おっぱい』だ。そして自分を知る人であれば確実に、「こいつ、おっぱいについて記事書くな。」と予想したと思われる。そう。愚拙を代表する言葉といえば『おっぱい』なのだ。21年間生きてきて、人並みに辛いことも、大変なことも、悲しいことも経験した。趣味嗜好、そして思考も21年間の中で様々な変遷を遂げていった。けれどおっぱいは、おっぱいだけは。21年間僕はおっぱいを愛し続けたし、おっぱいにも僕は愛され続けていたと思う。

 

男子として生きるものなら、「巨乳貧乳論争」に巻き込まれた経験が一度ならずあるだろう。男子諸君の至上命題であり、数多の男子間戦争の火種になってきた。沢山の死傷者も生み出した。そんな不毛な争いを、この記事をもち僕が勇気をもって終わらせようと思う。

からしてみれば、女性の乳房の大きさに優劣をつけるのが最早ナンセンスなのだ。そもそも男子諸君は、そこに『おっぱい』があるというだけで、『おっぱい』という概念そのものに感謝しなければならないのである。だって野郎に『おっぱい』はないんだから。(太ってる人にはおっぱいあるじゃん!とかいうな低俗な議論はしたくない)自分が持っていないものにケチをつけるなんて、やっかみもいいところである。金子みすゞが「みんな違ってみんないい」と言っていた。その通りだ。全ての女性に、全ての乳房に、十人十色の魅力が詰まっている。野郎諸君に許されることはただ一つ。おっぱいがこの世に存在することへの『感謝』のみなのである。

しかし人間は過ちを犯す。はずかしながら愚拙も、胸が小さい女の子に対して「貧乳」といじったことがある。結果、彼女は静かに泣いてしまった。反省した。本当に恥ずかしいはなしだ。いうなれば女性に「貧乳」といじることは、男性に対して「租チン」といじるのと同義なのだ。過去に一度でも、女性に「貧乳」といじったことのある男性は、胸に手を当てて想像してほしい。自分が女性から「租チン」といじられている光景を。僕なら泣く。号泣する。嗚咽する。そして男子諸君。僕たちは過去を変えることはできないが未来は変えられる。貧乳といわれて泣く女の子をもう作り出したくない。やめよう。貧乳いじり。

 

ところで『おっぱい』という日本語は本当によくできていると思う。その4文字の響きに、乳房の柔らかさ、張り、神秘など全ての魅力が詰まっている。英語の”bust”という言葉には存在しない夢が詰まっている。そしてきっと赤ちゃんが「ママ」・「パパ」の次に覚える言葉も『おっぱい』であろう。赤ちゃんにとって大切な栄養源が、最も発音しやすい母音から始まっているという点において機能性が素晴らしい。赤ゃんからじじいまで、『おっぱい』という言葉は誰でもわかる。さて『おっぱい』の語源は諸説あるようだが、一番有力なのは江戸時代に「ををうまい」が訛ったという説だそう。他にも形が「杯」に似ており、それに丁寧語の「お」を付けたという説もあるそうだ。なるほど、勉強になる。何はともあれ、『おっぱい』に『おっぱい』と名付けた先祖には頭が下がる。こんなに機能性に優れ、深遠な意味を持つ言葉を僕は他に知らない。

 

僕は極限の疲労状態に置かれたとき、語彙力が格段に下がる。言葉を考え、文章を作り、言葉に出すのが途端に億劫になるのだ。そんな時、僕は『おっぱい』しか言えなくなる。勘違いしないで欲しいのだが、そこに邪な意味は何もない。というか、その言葉に意味はない。ただの記号の羅列を口に出しているに過ぎない。気が付いたら『おっぱい』と呟いているのだ。けれど『おっぱい』と口に出すだけで、不思議と元気が湧き上がってくる。『おっぱい』はいつだって僕を助けてくれる。みんなも疲れたときは口に出すと良い。怖がることはない。『おっぱい』と、叫ぼう。

 

最早自分にとって『おっぱい』とは切っても切れない関係にある。これからも無限の感謝を胸に秘めて、おごることなく、つつましく生きていこう。願わくば、この感謝の念を君も持ってくれると嬉しい。

 

 

おっぱい。

 

演劇

演劇が好きだ。多分これからも一生好きだ。一生って言葉を使うと途端にちんけになるな。けれど高校で演劇を始めてから、演劇のことがずっと好きだ。演じるのも好きだし、観るのも好きだ。

 

それはそうと、これを読んでくれている方の中で演劇に関わったことのある人はどれだけいるだろうか?きっと演劇をしたことがある人は殆どいないだろうし、観劇にまで枠を広げても、そう多くはあるまい。演劇というものは、非常に閉鎖的な空間であり、中々とっかかりづらい、ハードルの高い娯楽になっていることは間違いない。劇場に行っても、多くが演劇関係者・演者の知り合いである。終演後、キャストとその知り合いがわちゃわちゃ話しているのを横目にしながら、部外者の僕は気まずくて、毎度毎度いそいそと帰る。かなりの頻度で劇場へ通う自分でもそうなのだから、映画のようにフラッと演劇を観に来る人は本当に少ない。だからこそこの場を借りて、せめてこの文章を読んでくれているあなたには、拙いながらも演劇の魅力を伝えたいとおもう。

 

自分が演劇に関わり始めたのは高校生の時演劇部に入ったからだ。入部した理由はひどいもので、「かわいい先輩がいたから」である。非常に俗っぽい。動機が動機だから、最初はそこまで熱量もなかった。最初は、セリフも全然覚えられず、あまり楽しくなかった。

けれど初めて立った公演で初めて拍手をもらった時、とてつもない興奮を覚えた。自分自身へ向けられた直接的な拍手をもらったのは初めてだった。その喜びに、全てが報われた気がした。多分、それからしばらくにやにやしてたと思う。僕は演劇にはまった。虜になった。

それから演劇部として活動する中で、何度か人を泣かせることが出来た。演劇は人の感情を揺さぶれる。もっとうまくいけば、他人の記憶に残って、他人の人生の一部になれる。何も持っていない自分でも、頑張ってひねり出せば誰かの一生に爪痕を残せる。こんなに面白いことはない。

 

勿論、観劇することも大好きだ。北海道、特に札幌の演劇界は非常に面白い。非常にレベルの高い多くの劇団が毎週何処かしこで公演をやっているし、価格帯も非常に手ごろだ。劇場の立地も大体が交通の便がいい。さらに夏と冬で演劇シーズンという催しが開かれ、1ヶ月半に渡り過去評価の高かった作品が札幌の様々な劇場で楽しめる。さらには高校演劇でも石狩支部は全国大会で入賞するような学校が集まっている。今、札幌の演劇は熱い。

ドラマや映画で笑ったり、涙したり、やるせなくなったりした経験は誰しもあるだろう。テレビや映画の画面を介したとしても、他人の物語は僕たちに大きな影響を与える。それが虚構であると知りながらも熱中しハマる。ではこれが演劇になるとどうなるか。僕たちと物語を隔てていた「画面」がなくなるのだ。目の前で、物語が、虚構が、目くるめく展開されていく。画面越しには決して伝わらない「空気感」が「熱量」がダイレクトに観客へ伝わってくる。空間に没頭する。それはテレビの比ではない。逆に言えば、生だからこそ一つのミス、下手な演技・演出で一気に今日が覚める怖さがあるのだが、それも含めて舞台の魅力といっていいだろう。

「告白されるなら直接がいい。好きって気持ちが伝わるから。」っていうような当たり前のことを多くの人が珍妙な顔で語っているけれど、他の感情だって直接言われた方が実感を伴うにきまってる。観劇してると色々な感情が身に迫って伝わってくる。それにたまに疲れることもあるけれど、興奮の方が何倍も上回る。人の感情を身に浴びることは、とてつもなく面白い。

 

演劇をいきなり始めることは、たしかに難しいと思う。けれど、演劇を観ることはあなたが思っているより簡単だ。劇団のHPにいって、予約して、劇場へ向かうだけ。生産は劇場で現金払い。札幌ではその月の公演情報がまとめられたサイトまで完備されている。

演劇はやる側だけでは成立しない。観客がいて初めて成立する。つい先日、キャラメルボックスという超有名劇団が赤字を理由に活動を停止した。いまや既存の演劇ファンだけでは演劇は成立しなくなってきた。気軽に、映画館に行くように劇場に来てくれる新しい演劇ファンが演劇界に必要だ。このままでは演劇が終わってしまう。

 

演劇は本当に面白い。

そこに知識はいらない。本質は映画と変わらない。気軽に楽しんでいい娯楽の一つなのだ。

この文章を読んで、少しでもあなたに演劇の魅力が伝われば幸いである。

 

 

ps.上記に示した札幌の演劇についてまとめられたサイトのリンクを載せておく

https://d-sap.com/