カメラ

カメラなんて、絶対にやるまいと思っていた。お金はかかりそうだし、カメラが趣味って何かぶってる気もする。カメラ買わなくても記録はiPhoneで残せるし、何よりカメラより性能の良い眼球というレンズも持っている。一々パシャパシャと写真を撮るのは品がなく、俗っぽいと思っていた。それなのにところがどっこい、カメラの購入どころか、昨日新たなレンズを買ってしまった。

 

以前の記事でも言及したが、自分は旅行が好きで道内・道外様々なところに行った。知らない道を歩くだけで楽しいし、次の目的地はどこにしよう、新たな目的地にはどのような雰囲気なんだろう、考えるだけでも大変に楽しい。教科書と経験が直接リンクするのにはたまらない興奮を覚えた。けれど、旅から帰ってきた後に気が付いた。思い出が記憶が段々薄れていっている。あの時見た景観・匂い・空気etc…折角大金はたいて向かったのに、人間の記憶は悲しいもので、何から何まで薄れゆく。それだけなんとも悲しかった。

 

大学の実習で夕張へ行った。とても寂れたところで、高齢化率1位という異名は伊達じゃない。地域医療の問題を実地調査するっていう内容だった。実習目的からすればこんなにふさわしい目的地はなかったのだが、どうせならもう少し栄えていて遊び場所に困らない、函館とか帯広とか、そんな街に行きたかった。どっちかというとしぶしぶ、僕は夕張へ向かった。(行ったら行ったで結局楽しかったけれど)さて、一緒に行ったグループの中にカメラが趣味の友人がいた。そして後日、その友人が撮った写真を拝見したわけだが、これがとても綺麗だった。写真を見るだけで、うだるような暑さとか、くだらない会話とか、ビールの冷たさとか、そんな些細な記憶がよみがえってくる。写真を撮ることの意味はこういう事かと、妙に納得してしまった。僕は他人に影響されやすい人間なのだ。

 

そんなこんなで、どうせなら旅先の写真は撮ることに決めた。人生初めてのカメラはメルカリで買った25,000円のolympuspen e-p3。10年前のミラーレス一眼。おんぼろもいいところだ。家に宅配されたときには既にレンズに不備があり、一定以上ズームが出来なくなっていた。でも面倒で、クレームをつけたり返品処理はしなかった。写真を撮ることは主目的ではなく、ついでに記録としてそれっぽい写真を取れれば満足だった。そんで案の定、不良品だったレンズは使ってる内に2か月で壊れた。その頃にはもうカメラの沼にはまっていた。絵や音楽と違い、芸術としての最初のハードルが極端に低く、それでいて奥が深かったことが性に合っていたんだと思う。フレームの中で一番きれいな瞬間を切り取る作業は、演劇に少し似ていた。壊れてしまったことにかこつけて、もっと良いレンズを求めた。初めて手にしたレンズがズーム機能に不備があるものだったから、それならいっそズームできないレンズにしようと考えて、結局27,000円の単焦点レンズを買った。カメラ本体の値段を超えていた。ケチらずに初めから良いものを買っておけばよかったと激しく後悔した。

 

四月は君の嘘』という漫画の中で主人公が、「恋をすると世界がカラフルになる」って言っていた。なるほど素敵なセリフだ。でも世界をカラフルにするのは恋だけじゃない。カメラだってきっと自分の世界をカラフルにする。ソースは俺。カメラを手にして、写真を撮り始めてから、周りをよく見ながら登校するようになった。運転するときに、よく寄り道するようになった。太陽と雲と木があるだけで、世界は十分に美しい。そんな単純なことに21歳になって気づかされた。シャッターチャンスを逃したくないから、カメラを毎日持ち歩くようになった。旅行のついでのカメラだったはずが、いつの間にか日常に侵食し、されはカメラのついでに旅行に行くようになった。

 

そうして僕は新しい趣味を手に入れた。『趣味:カメラ・演劇』という立派なおしゃれ人間の出来上がり。趣味だけで彼女が出来そうなくらい胸やけがするけれど、現実はそうもいかないのが世知辛い。プロフィールには『今一番欲しいもの:彼女』も追加しておこう。

 

 

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